「愛する人と会うな
愛していない人とも会うな」
釈迦『法句経』
釈迦は、人を変えてしまう愛の本質を
逆説的に表現しているのでしょうか。
子どもを愛おしく思わない親はいないでしょう。
その愛は煩悩に変わり、大きくなるとともに
離れていく子どもに、執着(憎しみ)します。
仏教での愛という言葉は、キリスト教などの愛ではなく
「執着」におきかえられる。
愛は、憎しみを内在する。
愛情が深ければ深いほど、憎しみ(恨み)も深くなるのか。
『法句経』の第十六章「愛するもの」の一節
「愛する人と会うな。愛していない人とも会うな。
愛する人と会わないのは苦しい。
また愛していない人と会うのも苦しい」
Kさん
もう、新聞もテレビのニュースも、あまり見ないように。
現実の周辺の人たちのことでも、思い煩うこともないように。
辛いときは、私にお話しくださいませ。
ときどき、楽しいことをしましょう。
夜のお寺が好きです。ひさしぶりの経験です。
ぬばたまとまでは言えませんが。
目の前の闇に、あまたの想いを反芻しながら、東大寺の裏道を数人で歩きました。
この年の愛別離苦の日々を過ごしながらも、やはり楽しく粛々と過ごしたいと思ふ。
「ルシャナ大仏発願讃歌」拝聴しました。
(M) 貪染と愛欲が…悟りの菩提心となりますように。苦しいですね。
(A) ご無沙汰しています。お元気でしょうか。楽しいこといっぱいありますように。
(M) ありがとうございます。
お陰さまで、心は健康優良児です(笑)
佳津さんは日々目の前の方々と寄り添い続け支え続けておられるのでしょう。
佳津さんにも、楽しいこと、ご自身が癒されることがいっぱいありますように。
(A) こちらこそ、ありがとうございます。
まだまだ余裕なく、FBも沈黙の日々でございますが
マイペースなゆっくりとした時間も与えられてありがたいことでございます。
(N) 今は子供が成人しても独立せずに、親と仲良く暮らし続ける家族も多いように感じます。