一年前に、お目にかかり、もう一度、お目にかかりたいと願って、3日念願をはたせました。
「発露の間」に、しばしたたずみ、ぬかずく我に、
権現様は、あまりにも、あたたかく、かつこわくて、胸いっぱいでございます。
「権現様が好き!」
「東大寺の大仏様はとても大きくて、とても素晴らしい。
でも大仏様はお側に近寄っても、その眼は半眼でいつも遠いところを見ておられる。
それは大仏様が国家安穏、風雨順時という大きな願いで、この國全体を見守っておられるから」
・・・っていう法話をよくする。続きがある。
「それに比べて、蔵王権現様はその前に座ると、その座った人の心の中を見透かすように
カッと見開いた眼で、まるでのぞき込むように前屈みになって、私達に近づいておいでになる。
大仏様も権現様もどちらも有り難いが、
私は自分のことをじっーと見つめていただく権現様が大好きだ」とお話しする。
この3月末から6月9日まで
仁王門修理勧進の蔵王堂秘仏ご本尊の第三期ご開帳が行われている。
もうあと9日で閉幕が迫った。
その秘仏ご本尊の前に、額づくたびに、いつも、自分の心の中が見透かされているようで
有り難いし、怖いし、嬉しくなる。
蔵王堂内陣には期間中、発露の間が設けられているが、
まさに参拝者ひとりひとりが権現様に自分の心を発露する空間である。
きっと座った誰もが、有り難くて、怖くて、嬉しくなっておられると確信している。
4月末からは、週末ごとの夜間拝観も始まっている
(今夜の夜間拝観で私の当番は終了する・・・)。
夜の権現様はまたまた昼間とは違うお顔をお見せになり、大迫力となる。
ご宝前の導師席に佇み、闇夜に響く梵唄声明の流れる中で、権現様のお顔を見上げると
時には涙が止まらなくなるときがある。
あるいはすでに亡なった父や母に見守られているような温かい気持ちになる。
前の猊下に教えられた「ご本尊に嫌われるなよ!」っいう言葉を
権現様から直接頂戴したような気持ちになる時もある。
蔵王一仏信仰というが、難しく考えることない。
権現様をいかに自分が好きであるか、権現様からいかに好かれているか
そこを問えばよいのだと思う。
ご開帳はじかにそういうことを感じさせていただく有り難い機会なのである。
権現様のまえで感じていただきたいと念ずる次第…。
(A) T先生、夜間拝観は叶いませんでしたが、権現様に再会できて嬉しゅうございます。
ただ、先生とは再会できずで、残念でございます。
「発露の間」は、私を素直にしてくれました。
(W) 秋田さん、私の今年の初詣は、春日大社でした。
大仏様にいろんなことをお願いして来ました。
そのお陰様か、叔母も長く苦しまずにすみました。
(A) Hさん、そうでしたか。
東大寺にも、お参りされたのですね。月日は飛ぶように過ぎていきますね。
叔母様の初盆も、もうすぐですね。
お盆には、一心寺さんにお参りさせていただきます。