「わしの眼は十年先が見える」 城山三郎著
ひるむことなく、夢を見、実現させてきた男の生涯、大原孫三郎。
美の殿堂の大原美術館開館は、昭和5年で、氏50歳のとき。
大好きな美術館である。もう一度、エルグレコの名画の前に
たたずみたいと思いながら、なかなか行けぬ我である。
26歳で、倉敷紡績株式会社の社長に就任。
日本で指折りの大会社に成長させる。
他にも農業研究所や大原社会問題研究所の設立。
まだ福祉という言葉もない明治時代、多くのの孤児を救った石井十次。
その石井との出会いからの学びや、孤児教育の応援。
そして、アメリカのロックフェラー病院に負けない東洋一の
理想的な総合病院「倉敷中央病院」
なんともダイナミックな足跡である。
貧乏をどう防ぐか、民間の研究所で自由に研究するために
大原社会問題研究所にお金をつぎ込んだ。
そこで育った経済学者大内兵衛は、孫三郎についてこう語った。
「金を儲けることにおいては大原孫三郎よりも偉大な財界人は
たくさんいました。しかし金を散ずることにおいて高く自己の
目標をかかげてそれに成功した人物として
日本の財界人でこのくらい成功した人はなかった。」
倉敷を、歩きたい。